第19回:新たに発覚した母の病

インフルエンザの流行で、面会は制限が厳しく、30分以内13時~16時までの間で部屋に入れるのは1人のみ。その制限の中、仕事を調整して面会に行きました。危険な状況であるのに面会の制限は緩和されずでした。


手術後母は長時間(3日間ほど)眠ったままでしたが、私が手術後初めて面会に行ったタイミングで、声をかけたら目を覚まし意識を取り戻しました。看護師さんが医師に報告します、と驚きの様子でした。
手術前の状態とは全く違う母の姿でした。ぐったりと力なくしんどそうな母。片方の手が異常にむくみ、そして声が出なくなっていました。

腸内の小腸の壊死部分を摘出する手術後、あらためて担当医との面談があり、すべての数値がどんどん悪化しているとのことでした。手術が成功したので、あとはどうにかなるはず。私はこれで退院できる方向だと思い込んでいました。
ところが担当医からの想像と全く違う説明に母の重篤な状況をはじめて実感しました。安易な私の物の考え方にとてつもない衝撃でした。

お腹を開いて、手術を乗り越えたのに。せっかく手術したのに。痛いくて怖い思いをしたのに。

母は小腸とは別に筋肉が溶けてしまう病気になっていたのです。これは長年の投薬が原因となる場合があると言う病気です。ネットで調べたところ、脂質異常症の薬が原因になりやすい、との記載がありました。そういえば随分前に当時の病名”高脂血症”と診断され、脂質異常の薬を飲んでいたなと。そして、グループホームから取り寄せたお薬手帳には確かにその薬の記載があり、きっちりと処方が続いていたことをこの時に知りました。愕然としました。飲まないといけないと思う薬を飲んでいて命を奪われる原因になるなんて。。


この病気は通常だと、自分で異常に気がつき、その時点で投薬を中止することでほとんどの場合は回復するそうですが、母はその異常に気がつけなかったか、伝え方がわからなかったのではないかと思います。認知症はそういうリスクも高いと言うことになります。
脂質異常の薬だけではなく、認知症の薬や精神薬も処方されており、母は多くの薬を飲んでいました。それも原因になったかも知れません。

薬は本当に母に必要だったのか、もっと薬の管理をしてあげていれば…。コロナ禍は通院もグループホームに任せっきりでした。
急にこんなことになるなんて思いもしませんでした。母は体がとても元気でしたので、私はまだまだ元気にいてくれると思っていました。入院前は、きっとこれからは認知症ももっと進み、寝たきりの状態になる、次の段階を考えなくては。そんな風に思っていてケアマネジャーさんと今後について相談していたところだったのです。


お別れはあっけないものです。もっと時間があると思っていました。
「いつまでもあると思うな…」とよく言いますがまさにそれです。もっと元気な時に仲良くして感謝を伝えていれば。もっと早く稼いで余裕があれば…時間を過ごしていれば…たくさんの後悔。


次回はお別れです。

つづく…

📖 「母と私」シリーズ(全20話)

母との思い出を綴った全20話のシリーズです。

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